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お気楽ペン仔さん

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イチロー選手の野球人生から、私が感じた「プロ」とは

イチロー選手、28年間、お疲れさまでした。


こんばんは、ペン仔です。

今日(正確には昨日)、イチロー選手が引退されました。
遅い時間にも関わらず、ドームには多くのファンが残り、スタンディングオベーションイチローコールが降り注ぎました。

会見には多くの記者が押し寄せ、およそ1時間半にも及ぶ会見になりました。

私は、父の影響で野球の知識は多少持ち合わせていたこともあり、イチロー選手のすごさは知っているつもりでした。

いや、日本人なら野球の知識が無くても、「イチロー」と言えば野球のイチロー選手を思い浮かべ、その伝説やすばらしさを耳にしたのではないでしょうか。


私が今日、書こうと思ったのは、彼の「プロ」としての意識を残しておきたいと思ったからでした。

私は、イチロー選手のことをとてもよく知るものでは無いので、憶測でしかないし、もしかしたらご本人に不快な思いをさせてしまう表現があるかもしれないが、これから書くことはあくまで、私が感じたことであることをご了承ください。

イチロー選手の人柄
私は、今回の会見から分かるように、彼は非常に頭が良く、真面目で、自身に非常に素直な方だと思いました。

きちんと答えなければならない質問には自分の言葉できちんと答え、答えたくないもの、答えなくてもいいものに対してはズバリ答えないと言っていました。

また、「それは無粋なことだ」「それは信頼を失う」といった自身の答えがあるということは、いろんなことを考え、自分なりの基準を持ち合わせているからではないかと思います。


イチロー選手が納得する最高の形での引退は必然だった
彼は世界中に惜しまれながらも、世界中が納得する形で引退されたのではないかと勝手に思っています。

試合の途中、元プロ野球選手のコメンテーターが「僕は余力を残して引退しましたからね。」と言っていた。

私はこの言葉に妙に納得した。
それは、この言葉の裏に隠された意味に納得したからだ。

イチロー選手はプロ野球選手としての余力を残すことなく、全てを出し切って終えようとしている」

これは昨年度、試合に出られなかったイチロー選手を見て、誰もが思ったことだった。

「もう十分に頑張った」「もういいんじゃないか」

ご本人も会見で仰られていた「昨年度の引退もありえた」という言葉は、きっと世界中が考えたことだったのだ。



マリナーズの選手として、日本での試合で引退をした、というのは本当に奇跡に近い。
もちろん、昨年度でも、来年度でもダメで、2019年の今日でしかならなかったのだ。

そして、その奇跡とも言える状況を作り出したのは、間違いなくイチロー選手のこれまでの努力以外のなにものでもないと、私は思った。


メジャーリーガーとしてマリナーズで11年間活躍しました。

彼個人の成績、実力はアメリカ中が認めるもので、マリナーズにも大いに貢献されたとしています。

しかし、マリナーズというチームとしてはアメリカの中でとても弱いチームでした。

イチローの練習と努力、実力はチーム内の選手からも嫉妬の対象だったとされています。

イチローはもっと強いチームへ行くべき」
といった声も少なくなかったと聞きます。

しかし、彼はマリナーズというチームを愛し、苦しみ、努力をされてきたのだと思います。

その後、ヤンキース、マリーンズと所属を変え、輝かしい成績や記録を出しますが、不調になったイチロー選手を迎えたのはマリナーズだったのです。

マリナーズは2018年、不調だったイチロー選手を1軍の試合には出しませんでした。
しかし今回、引き続き状態が良くないのにも関わらず、試合に出したのはなぜか。

それは、2000年から11年間、彼の野球人生で最も長い期間所属していた、そして貢献してくれたイチロー選手への、マリナーズが考える当然のギフトだったのではないか、と私は思いました。

これは、イチロー選手がどれだけ野球と真剣に向き合い、野球を愛しているかの現れなのではないかと思いました。


イチロー選手がプロである理由
会見で、イチロー選手は「プロ」であるために必要なことをいくつもおっしゃられていました。

「まだまだできることはあったと思う」「今日、1本打ちたかった」という言葉からは、まだまだ高みを目指しているということ。

「自分の『記録』というものは大したものではない」「自分の記録はいつか後輩に塗り替えられるもので、塗り替えられなければならない」といった言葉からは、過去の記録にはこだわらないこと。

「自分は人より頑張ることはできない。自分をはかり、限界の少し上を頑張る。そうしてここまでこれた」という言葉からは、自分を決して自信を過大評価することなく、努力するということ。

他にも、「(50歳まで現役という)目標があったからここまでがんばれた。言葉に出すことが実現する方法だと思う」
「向くか向かないかではなく、熱中できるものを」
といった言葉も、イチロー選手が実際に実行してきたものだからこそ、重みも深みも違いました。


「楽しいと思って野球をしたのはプロにはいって2年目まで。そこからは(実力よりも過大評価され)苦しみながら、引退を考えながらやっていた」
それでもイチロー選手が野球を続けられたのは「野球人生で貫いたことは、『野球を愛した』こと」
これに尽きるのではないでしょうか


イチロー選手の野球人生から私が感じたことは
「プロ」とはその道を「愛し」、「努力し続ける」ことができる人のことを言うのではないでしょうか。



皆さんは、「人生で貫けるほど愛するもの」はありますか?


以上、愛せるものを今世で見つけたいペン仔でした。
次回もよろしくお願いいたします。